手帳とか手帳術とかに一生懸命になることがある。仮にこれを手帳エンスーと呼ぼう。この手帳エンスー、
実は手帳自体が複雑な構造を持っていればいるほど盛り上がるのではないだろうか。
数十年前、企業が自らの社員に支給する手帳、いわゆる年玉手帳が手帳を意味していた時代には、手帳術など考えようもなかった。
わずかに一部の人々が、まだ市販されていなかった能率手帳に注目していた程度だろう。その能率手帳も市販されるようになり、
手帳というアイテムが商品として成立するようになると事情は変わる。
やがて'80年代になりシステム手帳が登場すると、手帳術という考え方が一般に浸透しはじめる。
さらに超整理手帳や一連の夢手帳などがユーザーの目の前に現れると、熱狂はどんどん盛り上がってゆく。
システム手帳も超整理手帳も、時間軸に沿って記入欄を綴じただけの綴じ手帳よりもずっと複雑な構造を持っている。
ユーザーが工夫する余地がたくさんある。カスタマイズの幅が広い。もっと正確に表現するのなら、
それ自体として求道心をくすぐるようなそんな仕掛けを持った道具なのだ。
たとえば、マツダファミリアセダンには熱狂的なファンがたくさんいるという話は聞いたことがない。
ところが同じエンジンを持ったユーノス・ロードスターは世界でもっとも愛されたスポーツカーとして今もたくさんのファンを持っている。
彼らの多くは大なり小なり車体やエンジンに手を加え、シャーシを強化し、タイヤを何セットも試したりしているはずだ。
対象が複雑であり、手をかける甲斐があるものほど趣味的な対象になり得るしなりやすいのだ。そして手帳は、
車などよりもよほど小さな額で“楽しむ”ことができる。これが手帳が趣味となることの本質的な事情なのではないだろうか。
手帳がここ数年独特の盛り上がりを持った製品のジャンルであることはこのブログでも何回も記している。昨年11月に「週刊朝日」
に寄稿した一文でもそれは触れた。そして手帳自体にフォーカスしていくと上述のような事情もあると思えるのだ。
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