なんで手帳なんだ?
これは先日のエントリーの続きです。
たとえば、「一台のパソコンで夢は必ずかなう」という本があったとして、手に取る人はどれだけいるのだろうか。パソコンは、メールの送受信、Webの閲覧、動画コンテンツを楽しむこと、WordやExcelで書類を作ることなど、いろいろな機能がある。仕事の道具としての出番は多いから、夢はかないそうにも思うが、こういうタイトルでは手に取る人は少ないような気がする。それは、パソコンにはある程度の力があり、使う人によってできることの幅が違ってくることも理由の一つだろう。また、しょせんは機械だし、そんなわけないよと感じる人も多いと思われる。
ところが、これが「手帳」になったとたん、俄然、興味が出てくるのはなぜだろうか。「まさか」「そんなわけないよ」と思いつつも、「ひょっとしたら」と思う人も少なくないのではないか。
いったいなぜなんでしょうねぇ。
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コメント
hikawaさん
尊敬する人として名前が挙がる人物の違いは、何に由来するのでしょう。たぶん日本では立身出世という古典的な価値観が、人生の成功とかアガリのイメージとして踏襲されているのではないかと想像します。
ただ、今手帳に夢とか希望を書いていてそれが金銭的な成功だったり、ものの充足だったりすることが多いとするのなら、それは現実の社会に対する漠然とした不安の反映ではないかと考えています。「どんなに社会が不安定でも経済的に安定していれば安心」という考え方です。これは一概に否定はできないと思います。もっとも、本当にお金を持った後にもまだ物欲のみだとしたらそれはどうかとも思いますが。
コメントありがとうございました。
投稿: 館神龍彦 | 2008/11/21 12:47
海外で尊敬する人は誰かと企業のトップに聞けば、必ずといってもいいほどに帰ってくるのは平和を作ろうとしたり、貧しい人々を救ったガンジーやマザーテレサなどの名前がかえってきますが、日本の経営者に聞くと、ぜんぜん違う織田信長とか徳川家康との戦国武将や辣腕経営者の名前などが帰ってくるW
おそらく、子供のころからの憧れが、そこに現れているのでしょうけれども、その差は歴然といってもいいでしょう。謙虚であるということが国際的にも定評がある日本人ですが、こういった現実を見ると果たしてそうだろうかという思ったりますね。海外の人々、特にビルゲイツやカーネギーなどは経済などは手段だとしか見ていない、最終目的は弱者に尽くすことを目的として、その人生をささげているといってもいい。なによりも他者の為であるという強い信念が彼らをつきうごかしてきたといってもいいでしょうし、彼らには愛に対しての謙虚な思いがあった。ところが日本の経営者にはそうしたものが皆無といってもいいほどにない。
また、こうした戦国武将恋慕型経営者をみならったりすると、夢が物欲などに安直にながれてしまう。フェラーリがほしいとかクルーザーがほしいとか臆面もなく手帳に書いたりする(爆)
金持ちになりたいという欲望のみが強くなり、それと同時に自分はどうして生きているのかという命題を見失ってしまう。
本来ならば自己肯定感というものは生きていく時間の中で学習され定義していくものだとおもわれます。しかし、それを物欲や我欲などで満たしてしまうと、物欲優先になり、それを必死になって正当化しようとしてしまう。あるITで大成功した人間が僕の友人だった人間にいるのですが、こいつは昔は本当に優しくっていいやつだったんですよ。高校生ころから犬が大好きで、家で飼ってる犬が病気になると学校を休んで獣医さんに自分で連れて行くほどの人間だった。ところがです。そんな大好きな犬が最近死んだ。彼のところに奥さんが電話をかけてきて犬が死んだと伝えてきた。すると彼は僕の目の前でこういったんですよ。
「○○百貨店の外商に電話を入れておくから、新しい犬を買っておいて」
あれがほしい、これがほしいとか金が手に入りだしたときから、彼は変わり始めていたんだけど、彼の言葉を聴いて僕はショックを受けるしかなかったですね。
その事件があってから、彼への助言や友達づきあいはしないようになったのですけど。
夢を安直に物欲などに結び付けてしまうと何か重要なものを見失うような気がしますね。
まぁ、ほどほどにってことですね。
物欲はあってしかるべきものだけれども、自分が物のためにいきているという錯覚を起こしては駄目であり、誰かのために自分は生きているという思いがなければ、とてもじゃないけれど、人生の最後に自分が幸福だったとおもえないような気がします。
投稿: hikawa | 2008/11/21 10:59
おなら出ちゃっ太さん
確かに手帳ってそんなに高くはないですよね。手を出しやすいのは間違いないと思います。
hikaさん
hikaさんのコメントは一見辛辣な中にも深い洞察と愛情があるようにお見受けしました。
私自身は、個人的な夢をどうにかした人がもっと大きな枠組みのことに目が届くようになると思うのですがいかがでしょうか。
お二方ともコメントありがとうございました。
投稿: 館神龍彦 | 2008/11/21 07:38
ぼくもおならでちゃったさんと同じ考えですね。買うだけでいいし、なんらかの評価基準もないから自分のペースで進められる。
また、夢をかなえる云々も基本的には知的好奇心の高い人間の落書きと同じく、なんらかの好奇を知的ならびに労働的な方向性に結びつけることができたら、それはそれで役にも立つと思いますよ。
物欲なんぞにするとあほらしくなって大概はあきらめちゃうんでしょうけどね。
だったら「世界平和」「貧困撲滅」とか書いてイルカの落書きでもしているほうが、はるかに世の中のためになるような気もしないではないですねW
多くの人が勘違いしていることだけど、個人の願望なんかは労力の割りに到達することはできる可能性は低い。しかしもっと大きな枠組みの夢は一人一人が気をつければ、到達することもありえる。W
投稿: hika | 2008/11/18 09:13
やはり値段的にお手頃だからじゃないでしょうか?
フランクリンやタイムシステムのように高価なシステム手帳もありますが、一般的な手帳ならせいぜい数千円、しかも5千円を超えることはめったにない。
それくらいの投資で「夢がかなう」なら、そんないいことはありませんから。
まあ、世の中、そうウマイ話はないよ、というオチがつきますけどね。
( ̄∇ ̄)オホホホホ
投稿: おなら出ちゃっ太 | 2008/11/17 16:06