手帳のそもそものはじまりについて
「手帳進化論」(PHPビジネス新書)では、現在に至る日本の手帳の原型が、 軍隊手帳と懐中日記の二つにあることを記した。
さてでは、手帳自体はいつごろ、どこの国ではじめて作られたのか。そのときはどんな形だったのか。 これも今後調べていきたいと思っている。以下はあくまで想像だが、おそらく産業革命の前後ではないかと考える。 複数人が互いの予定を調整して打ち合わせなり協働なりをする必要が出てきたのは、 大量生産とか分業などの概念と実態が生まれて以降のことであり、それは、産業革命のころではないかと想像するからだが、 これはあくまで想像でしかない。
もしご存じの方、詳しい方がいらっしゃったら教えてください。どうぞよろしくお願いします。
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コメント
hikawaさん、いつもコメント有り難うございます。
この点について詳しく教えていただきたいので、別途メールさせていただきます。
お手すきのときにでもお返事いただければと思います。
どうぞよろしくお願いします。
投稿: 舘神 | 2008/04/02 09:19
>大量生産とか分業などの概念と実態が生まれて以降の>ことであり、それは、産業革命のころ
分業の実態は産業革命にあるのではなく、古代に天文学農業と、そこに信仰という名のもと、天文学農業が密接に連関して法が生じたところから生じたというのが一般的な学説だとおもいます。
投稿: hikawa | 2008/03/21 10:11
五世紀前後宣教師などが、教区を巡回する際に祭事の記録予定や洗礼予定(予定表)信徒の氏名をいれる(住所録)ノートを持ち歩いていたそうです。それ以前の死海文書もその多くは記録や予定進行のためのバイブル(紙:パピルスを語源としてもつ、書類という意味が本義)です。
印刷的な技術をつかったものは、15世紀から17世紀にかけての大航海時代の航海用の予定表と積荷、ならびに荷主の人別帖を一体としたものではないかとおもいます。
人名は忘れましたが、このノートに日付をスタンプ押しで書き入れたものを作ったイギリス人商人がいました。この承認がアジェンダという言葉を使ったはじめての人間だったと記憶しています。
投稿: hikawa | 2008/03/21 09:58