(仮説のおぼえがき)技術が宗教になる!?
特定のメーカーに対して「信者」と呼ばれる熱烈なファン層が存在したり、新製品発売のたびに「お布施」と称する購入行動をとったり。 Macとそのエバンジェリストの例を挙げるまでもなく、ことデジタルガジェット/IT製品の周辺には、 宗教と信仰者との関係を彷彿とさせるものが多い。
上記のことは、単なる比喩の域にとどまるものでしかない。そう考えて思考を停止させることは簡単だ。でも、ひょっとしたら? と思う。ひょっとして特定メーカーに対してファンが持っている感情や、取っている行動の一挙手一投足を凝視すると、そこに見えてくるのは “宗教”に限りなく近いのではないか?
今回もまた仮説でした。
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コメント
おなら出ちゃっ太さん、コメントありがとうございます。
人柱、ありましたねぇ。
それが改良版とかではなく、まったく新しい製品の場合はとくにそうでしたね。
でも最近は事情が違ってきて、新しいソフトウェアは、Web上で公開される新しいWebサービスで、誰でもベータテストに参加できたりします。
昔はパソコン周りのことってかなり値段が高いものでしたが、今はいろいろと安くなりました。人柱という言葉にはそういう昔の事情を思い起こされるものになりつつあるのかもしれません。
コメントありがとうございました。
投稿: 舘神 | 2008/04/02 10:06
キタラハヒロユキさん、コメントありがとうございます。
そうそう、そのブランドですよね。ブランドとそれが見せてくれる未来ビジョンとかかっこいいイメージとかを求めて、人はなにかを購入するわけです。場合によっては購入するという行動そのものを購入するわけですよね(その場合は購入すること自体に関心があるので、買った物をほったらかしにする場合もあり)。
ブランドとはなにか。ブランドについて知らないことも多々ありそうなのでこれも勉強の課題としたいと思います。
コメントありがとうございました。
投稿: 舘神 | 2008/04/02 10:02
hikawaさん、コメントありがとうございます。
いただいたコメントをきちんと理解した上でお返事するのには時間がかかりそうなのでとりあえずの範囲でお返事します。
いただいたご指摘を踏まえた上でもういちど語ると、技術は信仰そのものではなく、なにかを信仰させるための手段にはなり得るのではないかと。
または、布教とマーケティングなど、宗教と現代の資本主義におけるブランドは、実は似ているのではないかと、漠然と考えています。コメントありがとうございました。
投稿: 舘神 | 2008/04/02 09:58
そういえば、新しい機器やソフトを試すことを「人柱」なんていい方もしましたね。
投稿: おなら出ちゃっ太 | 2008/04/01 10:39
お金を出してモノ買うとき、純粋のそのモノの持つ機能に対してのみお金を払っている、わけではありません。(もちろん、そういう場合も多々あります。)
では、何に対してお金を払っているのでしょう?私はそれを"夢"と呼んでいます。
私は、コンピュータやPDAを始めとするITガジェットや文具の類が与えてくれる"夢"に、決して少ないとはいえないお金を払っています。
ここで言う"夢"とは、目指す理想であり、そのモノ自身の歴史であり、開発者のドラマであり、あるいは、それを持っていること/使っていることで得られる安心感や質の高い生活イメージであったり、...、します。
そして、その「"夢"を与えてくれるモノ」は、"ブランド"と呼ばれます。
私の場合は"ブランド"の対象は"ITガジェットや文具の類"が多いですが、人によっては、"ブランド"の対象は、カバンや洋服であるかもしれないし、モノではなくヒトであることさえあります。
それは、程度の違いこそあれ、誰にでもありうることです。
しかし、その程度が行き過ぎた場合(突き詰めた場合)が、舘神さんが言うところの"宗教"になってしまうのではないでしょうか。
投稿: キタラハヒロユキ | 2008/03/27 22:03
アレゴリアとして技術と信仰が同義として語られることがありますし、ヒットラーのような半端神秘主義者においては技術が信仰にかわるという視野狭窄をおこしたこともあるのですが、(技術と神秘を混同したヒットラーの知性問題に起因するのだとおもわれる)
しかしながら、13世紀のアウグスチヌスが明示したように、信仰とは倫理と法を指すものであり、生き方をあらわすものでもある。これは、情動を抑制するということに他ならず、行や瞑想をともなうものです。それに対して技術は欲動や競争を補完するものであり、原理的には両者はまったく根本的に違うものであると僕はおもいます。
投稿: hikawa | 2008/03/27 08:40