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2007/11/24

手帳と共同体との関係はかわった

「手帳進化論」でも触れ、また先日の朝日新聞にも寄稿したが、手帳は、スケジュール管理の道具であり、メモのためのツールである一方で、どこか説明のつかない非合理的な側面を持っている感じがある。

 それは、軍隊手帳から年玉手帳、さらに生徒手帳に至るまで、その内部に共同体の規範がかかれており、それを守ることが、共同体の存続と発展につながるような、そんなものとしての手帳だ。

 その意味で、旧来の手帳と共同体は一対一の関係にあった。手帳が身分証として機能したのはそのためである。かつての警察手帳はその一例だ。

 そして今では、一人の人が手帳を複数使い分けるような例も出てきている。オン用とオフ用、またスケジュール管理用と日記用など、人によって目的も使い方も違うが、何冊もの手帳を持つことがあるらしい。これなどはまさに、手帳と共同体の関係が希薄(というか無縁)になってしまった例といえる。

 その一方で、年玉手帳以外に共同体を持っている手帳もある。ユーザーズグループだ。○○手帳のユーザーの集まりというと、共同体というほどしばりはきつくないが、仲間意識や帰属意識が発生していることがあると思える。もっともそういうものにさほど関心を持たないクールな手帳のユーザーも数多くいるのだろうが。

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コメント

HIK@PTMさん、お返事遅くなりました。
コメントありがとうございます。
手帳に関していろいろご意見と情報をお持ちのようですね。
手帳が生まれたのは18世紀のイギリスと書かれていますが、
よろしければ、その説のソースを教えていただけないでしょうか。
私自身は日本のケースしか調べていないので、外国のことを知りたい気持ちがあります。
どうぞよろしくお願いします。

投稿: 舘神 | 2007/12/03 21:59

どうも組織論と共同体論を取り違えられているような気がします。また、そこに趣味性の介在があることに関して共同体と相関関係があるとは思えないのですが。パーソナルなレイヤーでの利用においては手帳の相対というものがが社会と相関があるというのも飛躍しすぎだと思われます。もし、その手帳が自分にだけでなく他人に開示されるような状況、たとえば会社で超整理手帳をつかい情報を共有するような場合、あるいは何らかのセミナー的な利用を除いて、おおむねパーソナルな手帳は内側に向かって開かれるものであり、そこに趣味性が介在するのは不思議だとはおもえないし、特に社会的な相関が図式化できるようには思えません。

またおっしゃる個人への影響ですが、それは書き込み可能な書籍として、自分史や沖縄方面で見られる共同貯金帳あるいはベストセラー的なものとしての評価であり、手帳というものにくぐられるくびかれるべきものではないように思います。(その場合はスキムが優先であり、けっして手帳が、先にありきではないとおもいます)

つまり、この場合は風俗が反映されているだけのことであるにしかすぎないと僕には思えるのですが・・

書籍読ませていただきます。

投稿: HIK@PTM | 2007/11/27 10:07

hik@ptmさま、コメントありがとうございます。
手帳と共同体との関係に関する私の見解は、「手帳進化論」に書いたのでよろしければご参照いただければと思います。
また、共同体という単語をどう定義するかについてはご指摘の通りかもしれません。

 私も当初は手帳はツール以上のものではないと考えていました。とくに私自身の場合はシステム手帳から入ったので、その感が強かったのです。ところがそれ以外の綴じ手帳や明治時代の手帳を見るうちに、あるいは「夢手帳」と言われる各種の製品や有名人がプロデュースする各種の手帳を見るうちに、手帳は、単なるツール以上の意味を帯びた道具ではないかと考えるようになりました。
そしてたどり着いた結論が「~進化論」に書いたことだったわけです。
 この手帳と共同体の関係については、読まれた方から腑に落ちた旨の感想もいただいております。その一例は、以下のエントリーをご覧ください。
http://tategami.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/blog_9107.html

自分のブログのコメントに、まさかドゥルーズの名前が出てくるとは思いませんでした(久しぶりにその名を聞きました)。
コメントありがとうございました。

投稿: 舘神 | 2007/11/27 09:23

警察手帳に関して少し補記させていただきますと、警察手帳は身分証明書に軽度の手帳機能を付与したものであり、手帳から身分証明書へと発展したものではないと記憶しています。

また、この手帳は所属県警などから貸与されるものであり、勤務外には所持も許されなかった時代もあったようです。

パーソナルなものではなく、あくまで国家や自治体などの資産であり備品だったのではないでしょうか。手帳がうまれたのは18世紀のイギリスだったと記憶していますが、船舶などの入港を個人的に知るためにノートに日付けスタンプを押したのが始まりだと聞いています。

つまり個人的な営利を目的としたパーソナルなものが手帳の始まりであり、その後も共同体所属の符丁として使われたことは非常に少ないとおもいます。

軍人手帳や警察手帳のようなものは書き込み欄があるマニュアルの類と身分証明を主に経済的な理由から一致させたにしかすぎないものだとおもいます。

投稿: hik@ptm | 2007/11/26 22:52

手帳と共同体というのは少し飛躍しすぎのように思えます。共同体の定義としては生活要素の一致が第一条件として挙げられるとおもいますし、予定調和のツールとしての手帳が共同体においては、それほどに意味があるとは僕には思えないのですが、おっしゃる共同体を再定義されてから再考されたほうがいいように思えます。

ドゥールズやベンジャミンウォーフなどが言語性から属性に関する論考をこころみており、それから延伸する限り、手帳等のツールも言語性を帯びたものであり、かつそれは内向きに開かれたる自己会話。もっといえば心理学で言うところのジョハリの窓の内面対話を描くものであり、属するところとの融合のためのものであるにしかすぎないといってもいいのではと思います。

手帳等のツールが発達した背景に関してはアダムスミスが分業論を口にしだし、それが現実のものになってからだとおもえますし、これは産業による社会変革以降のものであり。その意味でもツールをこえるような意味合いはもっていないと思えるのですが・・・

投稿: hik@ptm | 2007/11/26 22:30

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