手帳は極めなくても大丈夫
「究極の手帳」とか「究極の手帳術」などの言葉を目にすることがあるが、別に手帳は極めなくてもいいのではないだろうか。 そうではなく、自分なりの利用目的や自分なりの使いこなしをすればいいのだと思う。
手帳に関して誰かと競ったり、極めたりするのは、手帳が趣味ならば別にかまわない。 でも多くの人にとって手帳はあくまでも手段のはずだ。予定を管理したり、おぼえがきを記録したりといったことが目的なわけで、 そういう目的のためにいろいろな工夫をすることはあるだろうし意味もあると思う。ただ、闇雲にいたずらに、どこにもあるわけのない “究極の手帳”とやらをもとめて工夫合戦、工夫競争に明け暮れても仕方がない。
手帳が趣味でなければ、工夫は仕事のためにすべきである。あまたある手帳テーマの本はそのためにあるのであり、 参考になるところだけ参考にすればいいのである。
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