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2005年9月

2005/09/24

アナログをデジタルで補完する

 「知的生産の技術」以来、「一冊の手帳で夢は必ずかなう」に至るまで、情報カードシステムの基本は、1カード1件だった。
 この原則があるから、カードはカードとして機能する。それは、情報にカード1枚という物理的な単位を与えることである。
 それゆえ、カードは別のカードと組み合わせることができる。またカード間の関連なども見えてくる(この辺のことは『発想法』に詳しい)。
 反面、1カード1枚の原則には限界もある。他と関係ないカードや記入量がすくないカードは、いつまでも放置されたりする。これらのカードは、どこか中途半端な存在としてカードボックスに残る。システム手帳のリフィルだともっと邪険に扱われる。リング径が決まっているから、記入量が少ないリフィルは、手帳の厚みをいたずらに増す原因と思われてしまうのだ(それがたった1枚であっても!)。

 だがしかし、システム手帳やカードにこだわらなければ、この問題はたやすく解決する。パソコンのファイルとして保存すればいいのだ。パソコンのファイルは、情報カードやリフィルのような物理的な面積の制限はない。5文字でも500字でもおなじひとつのファイルとして保存できる。
 いつも参照できないもどかしさはあるが、これはその種のファイルをまとめて一つのフォルダに保存しておくぐらいしか手がなさそうだ。

 この問題はシステム手帳やカードでは解決しないという人は、システム手帳やカードに過大な期待をしているといえる。

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2005/09/20

超整理手帳の特徴 試論その2

 超整理手帳には、致命的な弱点がある。
それはデザインだ。

思い出してみよう。たとえばフジテレビの月9枠に登場するヒロインが、超整理手帳を持っていたことがあっただろうか。または、米倉涼子扮するカルネのママが持っていたのは、超整理手帳だったろうか?

 否、両方ともシステム手帳だった。
 テレビドラマに限らず、マスメディアに登場する、もっとも分かりやすい“かっこいい手帳のイメージ”は、バブルが崩壊して久しいのにもかかわらず、システム手帳なのだ。しかもそれはたいていバイブルサイズの、ベルトがついたタイプと相場が決まっている。

 同じシステム手帳でも、A5では大きすぎて小道具としては目立ちすぎる。かといって、ミニ6穴タイプはなんだか高校生のプリクラ手帳みたいでイメージが軽すぎる。ビジネスマンや若いOLの活動的なさまを表現するのにもっとも適しているのは、やはりバイブルサイズのシステム手帳なのだ。

 そしておそらく、ドラマや広告を作っている層には、超整理手帳やその他の綴じ手帳などは、まだまだ認知度が低いのだろう。かりに認知度が上がったとしても、女優がこれらの手帳を持った絵がブラウン管に映ることはないだろう。なぜならマスメディアは、みんながこうだとおもっている、最大公約数的なイメージをなぞるからだ。

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2005/09/16

超整理手帳の特徴 試論その1

 超整理手帳の最大の特徴は、蛇腹式に折りたたまれたスケジュールシートだ。これが、ふつうの綴じ手帳やシステム手帳には不可能な、最大8週間(2枚広げれば16週間)の予定の一覧を可能にしている。このスケジュールシートは、デジタルツールのPIM的な連続性を紙によって表現したものといえる。
 このスケジュールシートの弱点は、一日ごとの記入欄が小さいことだ。一日にいくつもの予定や作業があったり、その詳細を記入するスペースはなく、そういう用途には向いていない。
 超整理手帳のユーザーには、別の手帳を併用する人も多いと聞く。その理由は案外このあたりにあるのではないか。もしユーザーの人が読んでいたら、コメントください。

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2005/09/15

楽をするために手帳を使う

 手帳は楽をするための道具である。
 こう書くと、違和感を感じる人がいらっしゃるかもしれない。だがこれは本当のことだ。忙しいときや、予定がどんどん入ってくるときに手帳は役立つ。そしてそれは基本的に楽をするためなのだ。

 今日はあと何時間あるか。そのうち移動や雑務に費やされるのはどれぐらいで、実際に使えるのはどれぐらいか。準備に必要なのはなにとなにで、先送りして問題ないのはなんなのか。現時点で不明なのはどういうことで、それはどうやったらあきらかになるか。

 こういったもろもろのことは、頭で考えているだけではわからない。残り時間や移動の時間は、デイリーリフィルの時間軸に記入すれば簡単に視覚化できる。
 そのほかのもろもろの疑問は、メモ欄に書き出すことで、客観化される。
 このように、時間を視覚化し、考えを客観化することが手帳やメモの役割であり、便利さなのだ。そのことで人間は、自分の頭の中を文字通り整理できる。これは頭の中だけで考えているのとは大きな違いだ。そうやってスケジュールや条件などを書き出すと、頭の中が楽になる。作業の段取りやそれぞれの細かい工程などが明確になっていれば楽だ。ひとつの作業が終わるたびにあたふたしなくてもいいからだ。

 手帳を使うと、混沌としたものがどんどん整理される。忙しく感じる度合いは同じでも、その処理スピードは手帳を使っていない状態と、使っている状態では、後者の方が何倍も効率的になっているのではないだろうか。

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2005/09/04

手帳の使い方がうまくなる究極の方法

 たとえばあなたがアメリカの田舎の街にいきなり放り出されたとする。英語は義務教育程度のレベル。知り合いもなく、日本人のコミュニティもない。それでもどうにか稼いで食べていかなければいけないとしたら、どうだろう。

 おそらく、英語がいやでも身につくだろう。周りのアメリカ人たちとコミュニケーションをとり、働きながら食べて生きていかなければならないからだ。

 実は手帳の使い方もこれと同じなのではないか。
 ものすごく忙しかったり、緊急性のある課題に追われていたら、時間の使い方はどんどんうまくなるはずだ。段取りの組み方、調整の仕方、決断力、他人への仕事の振り方、ちょっとした雑用のこなし方etc。そしてこれらをメモして調整する手段としての手帳の使い方もうまくなると思える。

 だから、手帳の使い方がうまくなりたいと思ったら忙しくすることだ。逆に言えば、時間があまっている人は、いつまでたっても手帳をうまく使えないだろうし、うまく使う必要もないだろう。
 そして、たとえば「手帳200%活用ブック」に登場するような人たちは、例外なく忙しい人々だ。彼らは決して記入や整理のテクニックに秀でているわけではない。そうではなく、単に忙しいのだ。それゆえいろいろな独自の方法が、日常の必然性の中から自然と生み出されてきたのだと言える。

 手帳の使い方がうまくなりたかったら、忙しくなること。自分にいろいろなスケジュールを課すこと。逆説的だが、これは意外と真実だと思える。ご意見ご感想お待ちしております。

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2005/09/01

システム手帳の歴史的必然性 再論

 2004年の秋以降、システム手帳が再び注目されている。「一冊の手帳で夢は必ずかなう」(かんき出版)の影響で、自己実現のためのツールとして手帳が注目されている。'90年代後半に日本に上陸し、前掲書と相乗効果的に注目されているフランクリン・プランナーも売り上げを伸ばしているのには理由がある。

 これは日本社会の変容の反映なのだ。
 かつて日本のビジネスマンが愛用していたのは、会社支給の年玉手帳だった。社名が金文字で入り、Yシャツのポケットに入るこの手帳は、終身雇用制を大前提としている。システム手帳を比較すると、そのことがよくわかる。

 まずスケジュール欄は1年分のみ。メモページは増減が不可能だ。そして巻末には業務用便覧がある。特定企業に終身雇用され、その年にはその年のことだけ考えればいい。時間の経過とともにポストと月給が保証されたそれまでの典型的日本人が使うためには、こういう手帳で十分だったのだ。

 終身雇用制が崩壊した現在、日本のビジネスマンは、数年先を見据えたキャリアプランを自ら描く必要がある。仕事の幅も多様化し、年玉手帳の巻末資料だけでは情報が足りない。ドラスティックに変化してゆくWebが情報の流通と社会の変化をますます加速させている。年玉手帳巻末にあるような便覧は、度量衡のような絶対変化しないものにしか意味がなくなっている。

 やはり年玉手帳につきものの、本店支店の一覧も意味がない。今ほど起業の合従連衡が激しい時代はないからだ(東京三菱銀行とUFJ銀行の合併の前に、両行はそれぞれ何回合併したのか!)。

 その年玉手帳も、平成不況による経費削減によって減少しつつある。
 つまり、システム手帳は、以下のような条件によって“再発見”されたのだ。それは、雇用制度の面で見れば、終身雇用制の崩壊とライフスタイルの変化であり、自らキャリアプランをつくる必然性が生まれたことだ。また、企業のあり方の変化に注目すれば、高度情報化の進展などである。

 システム手帳は、自らロングスパンのキャリアプランを考えるビジネスマンには便利だ。それは、今後数年にわたる予定も記入できる自由度の高さであり、「夢手帳☆クマガイ式」のような人生計画までもファイルできる、バインダー式ならではの特徴だと言える。おそらくこのような機能は、綴じ手帳も超整理手帳も果たせないものだろう。

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